大学図書館から大量の書籍が廃棄される光景:知識と記録の「幽霊」について
本記事は、筆者が自身の大学で目撃した、大規模な図書館改修に伴う数千冊の書籍の廃棄(デアクセショニング)という出来事を軸に、文化的な記憶や知識の保存形態について考察を深めている。具体的なエピソードとして、2018年のある6月の日、「A dumpster arrived behind my university's library」と題された状況が描かれている。図書館は大規模な改修工事に入り、広いラウンジスペースを作るために書架が撤去され、大量の書籍が大きな緑色のゴミ箱(ダンプスター)に投入される光景を目撃したという。この廃棄プロセスは「デアクセショニング」として情報科学で知られている。
筆者は当初、図書館職員による「貸出率の低い」書物を選別し排除する過程に疑問を抱き、同僚や学生と共に残すべき書籍のリストアップと保全運動を行った。この個人的な関心は、自身の執筆中の原稿がエディス・ウォートン(Edith Wharton)の図書館に関するものであったことに深く結びついていた。
さらに考察は、ウォートンの膨大なライブラリーコレクションに焦点を移す。彼女の全蔵書のうち半分は現存するものの、もう半分は「幽霊」となり、単なるスプレッドシートのエントリーに過ぎないという事実が描かれる。この経験を通じて、筆者はフランスの哲学者ジャック・デリダ(Jacques Derrida)の思想に触れる。デリダは『グラマトロジー』において、「テキスト」(言葉の連鎖としての概念)と「本」(物理的な媒体)を区別し、本は破壊可能だが、テキストは解釈を通じて永続すると論じる。
筆者は、図書館という場所が、テキストにアクセスするための最終的かつ重要なステップであり、単なる書籍の廃棄以上の意味を持つことを主張する。また、デジタル化されたPDFなどの代替手段も存在するものの、これらはしばしば「摩擦」(金銭的、技術的、物理的な障壁)を生じさせ、印刷物による深い読書体験が持つ優位性についても言及している。
背景
本記事は、図書館の改修や書籍の廃棄という具体的な出来事から出発し、知識や文化的な記録(テキスト)が物理的な媒体(本)を失ってもなお存続する可能性について考察している。これは、情報社会における「記憶」と「アクセス性」のあり方を問う哲学的・文化的背景を持つ。
重要用語解説
- デアクセショニング (deaccessioning): 図書館や美術館などのコレクションから、価値が低い、または不要と判断された資料を正式に除外し、廃棄したり売却したりするプロセス。専門的な管理手続きが必要とされる。
- グラマトロジー (Of Grammatology): ジャック・デリダによる著作で、西洋の思想における「文字(グラマト)」という概念の歴史的変遷と構造的な問題を分析した哲学書。テキストと本の関係性を論じる基礎となる。
- テキスト vs. 本: 本は物理的な媒体であり、破壊可能である。一方、テキストは言葉やアイデアの連鎖としての概念であり、解釈を通じて形を変えながら永続するというデリダの対比的概念。
今後の影響
図書館資料の廃棄は単なる物資の削減ではなく、文化的な記憶の一部が失われることを意味する。本記事は、物理的な書籍の価値だけでなく、その背後にある「読者の関わり」や「解釈の痕跡」といった無形な要素こそが真の知識であり続けるべきだと警鐘を鳴らしている。